噴飯物ともいわれるが

久しぶりにアップします。

徳兵衛の文献を参考にした書物では、良くて参考程度にしか引用されません。研究者泣かせで、良い文献とはされていないことがわかります。

しかし、目に触れる文献のほとんどに誤植があり、勘違いもあり、また鎖国の時代にあっては海外事情を具体的に検証することもできない事情があり、誤解が重なりますのでやむを得ないと思います。

最近の調査で判明したことでは、徳兵衛自身にも問題があるということです。といっても、底本に近くなればなるほど、知られている徳兵衛像とは違い理知的な面がくっきり出てきます。

問題は中年以降であり、特に晩年はこの理知的な徳兵衛の身の上に何かがあったはずです。 この何かが徳兵衛の実像を解明する上で鍵となりそうです。

詳しくは別の機会に述べたいと思います。


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