天竺徳兵衛は、海外貿易家とか探検家としても紹介されているようですが、貿易や探検のために出かけたのでしょうか?
確かに、いわゆる鎖国の直前まで日本人は海外にも出ておりました。商人もたくさんいたことでしょう。
しかし、徳兵衛の場合はあくまでも見聞録です。
貿易や探検に情熱を燃やした訳ではどうもなさそうです。
どちらかというと、マルコ・ポーロの東方見聞録に近い気がしています。
徳兵衛が生きていた時代、ほとんどの日本人は海外を知りませんでした。
徳兵衛が貿易家だとか、探検家だとして今に伝わっているのは、当時の海外事情をよく知らない後世の人々がつくりあげた徳兵衛像、つまりイメージが一人歩きしてしまったということでしょう。
残念ながら、事実から遠ざかっているように思います。。。