天竺徳兵衛という名称はそもそもあだ名ですが、余程うわさが世間に広まったのか、誰も徳兵衛の事実をよく知らないまま、イメージだけが一人歩きしてしまいます。
播州名所巡覧図会三は、徳兵衛が亡くなったからおよそ一世紀経った頃の史料ですが、この時点でもすでに想像の世界です。
この頃になると、赤穂屋徳兵衛とか天竺屋徳兵衛など複数、本名もどきが現れます。
天竺徳兵衛のあやかり商法もあったと思います。今のゆるキャラみたいなものです。
天竺徳兵衛つながりでわかりやすいのは演劇ですが、演劇は徳兵衛本人とはほとんど関係ない、独自の世界へ向かっています。
仮に徳兵衛が生きていたとして、演劇などを見ることができたとしたら、本人はどんな反応をしてるでしょうか・・・。