大学入試センター試験出題文をめぐって

2020年1月実施の大学入試センター試験、世界史B第4問文章Bに、なんと!天竺徳兵衛の記述が掲載されていました。しかし、設問文章を読むと疑問箇所が散見されました。設問文章をみると以下の通りです。

①船乗り徳兵衛?の表現は曖昧ですね。それとも乗船者という意味だったのでしょうか?一般的には「船頭徳兵衛」ともいわれてますが、さすがに15歳に初渡した徳兵衛に船頭はないでしょうから、忖度?して船乗り徳兵衛としたのかもしれません。なお、船頭徳兵衛という表記は誤解の可能性もあるので注釈しますと、高砂町には船頭町があり、古い写本には舟頭町徳兵衛と記されています。つまり船頭町の徳兵衛という意味での「船頭徳兵衛」が使われているのだと思います。実際のところ船頭さんでもなく、船乗り(水夫)ともいえませんが、「乗船者であった」ことは確からしいといえます。

②「1630年には、オランダ商船で再び東南アジアを訪れたとされる。」という部分は、世界史の分野ではごく一般的な認識?なのかもしれません。しかし、実際は1628年5月におきたタイオワン事件(濱田彌兵衛事件)により日本とオランダの間には問題が生じ、平戸オランダ商館も1632年に再開されるまで閉館されています。つまり再開までの数年間、特に1630年頃はオランダとは正常に交易できなかった点は歴史的経緯をみれば明らかです。したがって、徳兵衛が1630年当時にオランダ商船に果たして乗船できたのであろうか、、、という点で、設問の文章には強い疑問が生じます。オランダ人ヤン・ヨーステンと一緒に、、、という「通説」は論外(彼は既に死亡している)ですが、設問文章は拙稿の見解や仮説とは食い違います。気になる点です。

 播州高砂と天竺徳兵衛について、センター試験の設問に取り上げてくれたのは大変うれしいのですが、記述された文章自体には問題点があります。しかし、設問文章を読むかぎり、世界史の業界では当たり前の歴史認識としてまかり通っているのかもしれません。(記 小林誠司)

 


カテゴリー: 記事, 随想 | 大学入試センター試験出題文をめぐって はコメントを受け付けていません